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「課題」としての戯曲
俳優志望でない学生に演劇を伝えるのは、楽しい。

週一回、非常勤で教えにいっている大学での授業。早いもので既に半分終わってしまった。
戯曲なんか一本も読んだことないだろうし、下手すると舞台を観たこともないかもしれない。
うかつにスカート履いてきて、「すいません、座れません」という場面も珍しくないが、うまい、へた、を度外視すると、演劇はかくも豊かになるものかとこちらが驚く。

俳優女優の卵は、とかくガツガツしてていけない。
こういう卵は孵化させずに腐らせた方が社会のためになるのではないかと思う。

さて、授業も半分すぎるあたりになると、さすがにシアターゲームでお茶を濁しているわけにもいかなくなる。演劇の基本要素をおさえられたら、ぼちぼち次の段階へ。
同じように大学あたりで演劇の授業を持っていらっしゃる先生方は、否応なくこんな悩みを抱えるのではあるまいか。

テキストは何を使ったものか、と。

養成所や劇団の下部組織でテキストを選ぶのと、大学の授業で使うテキストを選ぶのは、似ているようで違う。戯曲を上演することは同じでも、養成所と大学では演劇を学ぶ目的がそもそも違うからだ。

ちなみに養成所や劇団の研究所の卒業公演あたりで最も選ばれる戯曲第1位は、

『わが町』(ソーントン・ワイルダー作)

に違いない。
統計を取ったわけではないが、この答えにはかなり自信がある。
毎年毎年、卒業シーズンになると各地で『わが町』が上演されている。

なにせ、お金がかかりませんから。

舞台装置を使わないこと、とト書きに書いてある。経営者としてこんなにありがたい戯曲はない。
必要なのは机と椅子だけ。最小限の装置しか使わないことで、逆に演劇の本質が見える。
つまり、舞台上にどんな豪華な装置があろうが、それらに意味を与える特権を持っているのは俳優ですよ、という点だ。

また、登場人物が多く、ある程度台詞が分配されていることも、卒業公演としてはポイントが高い。
地方から親がわざわざ新幹線に乗って見に来るのに、娘は一言も喋らず袖へ引っ込みました、では具合が悪い。

あるいは、思想的に極端な偏りがないのも理由の一つかもしれない。
もちろん、演出次第でいかようにもなるが、例えばブレヒトみたいにバリバリの社会主義者ではない。
生と死、時間、宇宙といった普遍的なことが扱われている。

こういう点を満たしている戯曲は、あるようでなかなかない。
ワイルダーが「卒業公演でたくさん上演されますように」と願って書いたわけではないだろうが、
このあたりの事情を汲んで、卒業公演狙いで戯曲など書いてみると、案外需要があるかもしれない。

さて、一方で大学は?

 
JUGEMテーマ:演劇・舞台

Posted by 松山 立 at 21:55 | - | comments(0) | trackbacks(0)

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