スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

Posted by スポンサードリンク at | - | - | -

『オセロー』についてのノート その3

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの来日公演『オセロー』を観たのは、もう11年前になる。2004年だから、まだ大学生だったかな?今はなきル・テアトル銀座で、大学生には法外に高いチケットを買って座席を確保した記憶がある。
あれから別に出世してないから、今でも高いな。
 
「イアーゴーを演じるために生まれた男」との呼び声高いアントニー・シャーと、イギリスで初めてオセローを演じた本物のアフリカ人セロー・マーク・ヌクーベの共演。当然ど
っちも知らなかった。そもそも、外人がシェイクスピアを演じるのを生で観るのも初めてだったんじゃなかろうか。
 
2004年といえばイラク戦争の真っ只中。今も昔も世界情勢には疎いが、「遠くで戦争してんな」くらいには感じていた。オセローがキプロス島に到着するシーンは、軍のキャンプで将軍を迎えるという設定になっていて、明らかにイラクに派兵された兵士を想起させる風景が展開された。演出はグレゴリー・ドーラン。オセローらは母国を遠く離れた兵士であり、侵略者の顔を持ち合わせる存在だ。
 
今年観たカクシンハンの『オセロー』も、この系譜上にある解釈を採った。しかも、中東情勢は11年前よりもっとタチの悪いことになっている。「Black or White」と副題のついた彼らの『オセロー』は2種類の上演形式をもち、片方のバージョンではアンサンブルでアメリカ兵を、もう片方ではISを登場させ、アメリカとISの存在を表裏一体のものとして描く。そもそも、ISが誕生した遠因はイラク戦争にある。
 
立場によって全く見え方が異なる世界は、イアーゴーとオセローの相対する視線そのものだ。彼らの視線は敵と味方、中東と欧米、イスラム教とキリスト教を大きく隔てる。世界を分かつ原動力は、人間の憎悪にほかならない。


JUGEMテーマ:演劇・舞台

Posted by 松山 立 at 19:16 | - | comments(0) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

Posted by スポンサードリンク at 19:16 | - | - | -

コメント
コメントする






この記事のトラックバックURL
http://matsuyamaryu.jugem.jp/trackback/111
トラックバック
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

Recent Entries

Categories

Links

Archives

Recent Comments

Profile